コトバ綴ジ

 

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喜びとか苦しみとかに、いちども震えなかった原子というものがあったであろうか?

いやしくも目に見え、手に触れ、量ってみられる物で、感性のまじらない物があったろうか?
喜びとか苦しみとかに、いちども震えなかった原子というものがあったであろうか?
叫びとか、物言う声でなかった大気というものがあったであろうか?
涙でなかった露があったであろうか?
たしかに、この塵は、感じたことがあるのである。この塵は、人間の知っているいっさいの物であった。

「塵」 小泉八雲 『仏の畑の落穂他』平井貞一訳 恒文社 より



昨年の冬、かんらん舎で福田尚代さんの作品と化石を並べた展示を見ました。
昔の岩波文庫のパラフィン紙のカバーに、普通は残らない、文庫本体に印刷されたタイトル等が残っているもの。
そして小さな生き物の化石。
なかでも、生き物そのものでなく、足跡の化石に心ひかれました。
福田さんの作品は以前も拝見したことがあるものでしたが、それらの化石と並んでいるのがとても自然。どちらも偶然の作用でそこに残ったもの。そして、本体そのものはそこにないもの。

本体とその跡。なくなってしまったもの、残っているもの。いったいどちらが本体なのか。そこにあるものとないもの、どちらも同じ。

そんなことを考えていました。


そして、今年もLetter CuttingのWS。
以前『小石、地球の来歴を語る』を読んだときに、石も自分も同じ物だと思ったこと。
そしてこの展示を見たこと。
彫られた文字と、削られた石の粉、どちらも等しいこと。
そんなことをつなげて何か作りたいな、と思って、まず石を探すところから。
熊本には化石の採れるところがあって、その同じ場所の石はどうかなと思い立ち、御所浦という島に出かけてきました。
残念ながらそんな都合よく彫るのにいいような石はひろえず。
実は、実際に化石の採れる海岸へは船で許可を得たひとしか行くことができず、その場所からうつされた指定のところで探すことができるだけでした。

5月でしたが、熱中症になりそうな暑さのなか、小学生にまじって探して見つけた数少ない化石が上の写真。
貝の印象化石。

fossil1.jpg

採集はできませんが、島の海岸沿いの道路わきには、こんなふうに化石がごろごろと見られるところもありました。
恐竜の化石もわくわくするけれど、植物や小さな生き物の痕跡にも心ひかれます。

・・・しかし、ハンマーを借りていったのだけれど、実際ハンマーだけで大きな石から部分だけ取るというのは非常にむずかしく、結局かけらになっていたのをひろっただけでした・・・。それでも見つけるとうれしいですけど。大人でも。

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