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コトバ綴ジ

Date : 2012年05月

手で書くことについて考えたことのメモ。


他の人の書いた言葉を読む、朗読、と他の人の書いた言葉を書く、カリグラフィー。
ラジオをきいていると、朗読の番組ってよくありますが、いろいろ聞いているうちに、カリグラフィーが思い浮かんだことがありました。

それよりも前、講演会のときに、谷川俊太郎さんが、「詩は、活字がいい。ニュートラルだから」とおっしゃるのをききました。それから、他人の詩を手書きする、ことについてなんとなくずっと頭の隅に。谷川さんの場合は、ご本人の書いた文字より活字、ということだったように思うので(読者にとっては本人の文字もうれしいですが)、ちょっとちがいますが。

カリグラフィーもいろいろな表現があるので一概にはいえませんが、たとえば崩したりせず、きっちり書いた場合。活字となにがちがうか。

詩と読む人との距離がかわるな、と。


すっと話に入っていける朗読。アナウンサーの場合でも、役者の場合でも、きちんと基本をふまえて訓練を積んでいるひとほどここちよい。アナウンサーが役者のようにセリフを読んだりすると、内容よりも読み方のほうが気になってしまうときもあります。

Zapf展でGudrunさんの書いたシンプルなものを見たときに、あたたかくて心地よく語られる朗読のように思ったのでした。カリグラフィーも、線、リズム、間。基本ができていていると、ひっかからずにその言葉の世界に入っていける。そして、本の小さな活字を目でひろうときよりも、よりゆっくりと言葉に触れる。

自分の解釈をいれて、表現をしていくときには、またちがうところから、見てくれる人とそのことばを近づけていて、そのときは静かな朗読ではなくて、強弱も、リズムも、伴奏も、と音楽に似ていく気がします。


今、『西洋音楽の歴史』(M.カッロッツォ、C.チマガッリ)を読み始めたところですが(この本、教科書っぽい見かけですが、中身は相当おもしろそうです。)、古代ギリシャで使われていた楽器のリラ(弦楽器)とアウロス(管楽器)、音楽の世界は「これら2つの楽器に象徴される対極の周りを回っている」と考えていたそうです。リラは、サッフォーなどの詩人がリラで伴奏しながら自分の詩を歌っていたように「詩や演説との調和」、「理性的であること」を表すのに対して、アウロスは「我を忘れ激情にとらわれること」「放埓な感情を抑制できないこと」を表す。文字も手書きで書いていくと、両極端のどちらの音楽も奏でられるような。


そして、「音楽の種が埋まった土」。ラテン語のアクセントは、声が上下することで成り立っていたそうで、マルティス・カペッラ(5~6世紀の文法学者)は、話し言葉をこう表現したそうです。
文字書いてる人は、文字にも音楽の種、埋まってるなと思ったことがあるんじゃないでしょうか。かなでる楽器は、日本語だったり、アルファベットだったり、活字だったり、それぞれ自分に合う楽器をえらんで。



ムーミンの話に、それをかぶせると別のものになってしまう不思議なシルクハットの話があります。その帽子を外国語の辞書にかぶせたとき、辞書のことばがページからぬけだして床をうごきまわりだす、という私にはぐっとくる場面があります。ことばを紡ぐ人、デザインする人、カリグラフィーをする人、みんな「ことばをうごきまわらせる」んだと思います。


とりとめなく書いてしまいましたが・・・
さて、きょう30日から始まる展示、「Inter-Action 手書き文字だから」。私が今更ここに書かなくてもとっくにご存じだとは思いますが・・・。DM見ただけで、手書き文字の豊かで自由な音楽があふれていそうで、わくわくします!

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プロフィール

sayaka

Author:sayaka
星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる
(ウンベルト・サバ 須賀敦子訳)

ことば+アルファベット+妄想。

カリグラフィーをしています。

町の写字室管理人

@scriptorium303

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