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コトバ綴ジ

Tag : アート

あけましておめでとうございます。

昨日帰省から戻ってきました。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

今回の青森はけっこう雪が降りましたー。
ひきこもっていましたが、雪が降りしきる中、青森県立美術館には出かけてきました。

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バス停から美術館への道。前を行く人の頭がぽこりと出ているのがわかるでしょうか。
雪かき、おつかれさまです・・・。

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美術館。
開館しているのか心配になるくらい。
白の中の白、きれいです。

今は常設展プラス「青森EARTH2014」。
青森の土地と関連付けた展示、毎年好きなものがあるのです。
今回、行ってみたら、吉増剛三さんの作品がありました!
昨年いちばん刺激的だった本は、吉増さんのものでした
しかも「石」をテーマに詩のような映像と詩と。
そして小さくびっしりと書き込まれた原稿のような文字の風景。

語りも文字も漂っているものがふっとやってきて、それを編んでいくようなものでした。

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あおもり犬はただただ静かに雪の中。
これがほんとうの姿のような気がします。

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帰りはもう日が暮れるころ。
美術館から駐車場のほうをみるとこんな感じです。

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最後は、空港でみた大門軍団のような除雪車軍団。
ただ積もるだけでは閉鎖にはなりません!
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「どこかの天体から人がきて地球の美しさを教えてやらねばならないはめになったとき、

一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした。」

もうひとつお休みモードで。

これは青森の太平洋側、種差(たねさし)海岸についての司馬遼太郎の言葉だそうです。
私はまだいったことがないのですが、去年の夏の青森県立美術館の展示「種差 ―よみがえれ浜の記憶」ではじめてその名前を知りました。司馬遼太郎の言葉も展示で。

次の夏にはいけたらいいなと思っています。

写真は、展示もされていた、写真家笹岡啓子さんが写した種差海岸の小冊子から。


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下の写真なんて、なんとなくアイルランドのようです(いったことありませんが)。
これは、葦毛崎展望台。いってみたい!

笹岡さんの写真は、そこで働き暮らすひとたちの姿がぽつりとうつしだされていて、あらがえない力を持つ大きなもののとともに人はいきていることを感じるものでした。

これは寒い季節の写真のようですが、きっとこれからここもいいシーズンだと思います。
こちらで、種差展の様子も海岸の様子もうかがえます。


さて、この展示を見て初めて知ったのが鳥瞰図を描く吉田初三郎という人でした。
とにかく、すごい立体感。
実は、これを見る1年ほど前から「平面のなかの立体感」というのが勝手に自分のなかのテーマになっていたのですが、この人のぐーんとせまってくるような立体感はすばらしく、「合格!」を出させてもらいました。
(ちなみに種差は、東山魁夷の「道」のモデルになった場所もあるということで、その展示もあったのですが、立体感というてんではダメだしさせていただきました・・・。うまい、へた、すき、きらいは全く関係なく、単に私の求めている立体感があるか、という基準です)
八戸のほうから、実際には見えないはずの青森市までかかれているのですが、これが違和感なく、「わかる!」という感覚。
たぶん、初三郎氏、空とんだことあります(笑)

宮城の金華山を屏風に描いた「金華山鳥瞰図」も大迫力でした。

今年の2月ごろ(だったかな?)googleのロゴがこの吉田初三郎の鳥瞰図になっていて、そんなにメジャーな人だったのか・・・と。

彼は種差をきにいって、別荘兼アトリエ「潮観荘」をもうけたほどだったそうです。

鳥瞰図の立体感は実際に見るといちばん感じられると思うのですが、こちらで自分の知っているところの図を見てみてはいかがでしょうか。

『マッチ箱は宝箱』展



福岡のアトリエFLATさんで、明日から始まります。
いろんなジャンルの作家さんが参加されます。
小さな箱が並ぶ景色、ひとつひとつ開けていく楽しみ。
どうぞ足をお運びください。


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マッチ箱をテーマに、それぞれのイメージで作った小さな箱。
そっと開けてみてください。

日時:2014年3月21日(金)~30日(日) 12:00~19:00
場所:アトリエFLAT
   詳細はこちらで。


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私も少しだけ。

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「ひらく」「しまう」がテーマだった東京の展示以来、ずっとこのことが頭にあります。

ひきだしをしまったり、扉をしめたり。
ひとつパタンとしめるとどこかでパタンとひらく、
浮かぶのはそんなことでした。

マッチ箱も、どこかに開いている。
そんなことを考えていて、なにかを入れるのではなく窓をしまってみました。

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小さな窓から見た景色。窓をみながら思ったこと。
箱にしまったあとに窓の外に広がっているかもしれない風景。

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内側とむきあうことばとともに。


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もうひとつは本のなかのページ、でなくページのなかの本。

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うさぎに導かれて、ちがうところへ。


OPEN & STOW 開いてみるアート、しまうアート

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展示のお知らせです。


OPEN & STOW 開いてみるアート、しまうアート

「ひらく」「しまう」をテーマに、絵画・版画・製本・ポップアップアート・カリグラフィーなど様々なジャンルの6名の作品が展示されています。

どんな「ひらく」「しまう」体験が待っているのか・・・、楽しみです。
展示は今日から。
期間もひとつきちかくあります。どうぞ足をお運びください。

場所:Gallery 惺 SATORU
   180-0005 武蔵野市御殿山1-2-6-B1F
   0422-41-0435

日時:2013年11月16日(土)~12月15日(日) 12:00~19:00(月・火休)

詳しくはギャラリーwebsiteなどをご覧ください。
http://gallerysatoru.com
twitter http://twitter.com/gallerysatoru
facebook http://www.facebook.com/gallerysatoru


「ひらく」「しまう」。
本、ひきだし、扉、世界、きもち、箱、つつみ、時間、季節、問いと答えetc ・・・想像するのが楽しいテーマでした。

手のひらのうえでなにかをひらいて、自分のなかのなにかもひらくような、
ことも考えながらつくってみました。

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踊る

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この何年か、直接紙に書く、以外のこともやってみました。
シルクで印刷してみたり、そのための原稿をつくったり、銅版画にしてみたり、そのために反転して写したり、大きな板に書いてみたり、そのためにトレースしてみたり。
その過程、そしてできあがったものからいまさらながら感じたことは、カリグラフィーは動き、踊りそのものだな、ということ。
続けて踊るような文字を書く、ということではなく、基本の文字であってもそれは動きの連続。たとえひとつまえに書いた線と紙の上ではつながっていなくても、スペースの空き方もどう線を書くかもすでに書いた線とつながっている。
そしてどんなに練習しても、毎回どこかちがう。おなじ振りつけでも、そのとき、そのひとによってちがう。ひとつ前の振りに反応して次の振りはかわる。
そこがいちばんの魅力で、私にとって、それを感じるには直接書いたものと比べられるものはないなあ、と。

シルクで文字の形は同じものを刷ることができて、それはそれでとてもヨロコビなのですが、たくさんの文字も一瞬の一度の刷りであらわれてきているので、ストロークの積み重ねの原本とは感じるものがちがう。

そして、たとえばひととおり書いてみて、ひとつだけ気になるところがあるとする。印刷するための原稿なら、そこだけなおすことも可能なんだけど、そこだけやはりちがう・・・。つながりがぎこちないように感じてしまうのです。(もちろん、修正が下手っぴなのもあるし、印刷になってしまうと気にならないので、そのほうがよいこともある。)結局、気になるところがあってもトータルで見て気に入ったものを使ったり、最低でも一文単位でなおしたりするほうがしっくりきたりする。大切なのは流れ。

そして、アルファベットの歴史でも、文字の形が変化したのは、どんどん書いていく運動の結果。
自分の好きなのは、その運動そのもの。


そんなことをいまさらながら思っていた時に手に取った本。
雑誌『真夜中』の「音楽と言葉とエトセトラ」の号。買ったまま積読状態だったのだけれど、作品づくりから逃避したくなると、そういうものを手に取ったりする。そしてたまたま読んだのが佐々木中氏の「この日々を歌い交わす」。

はっきりいって、全部まるごと引用したい文章なのだけれど一部だけ。

・・・二十万年前、ホモ・サピエンス誕生の時以来の、われらの言葉の材質とは何か。音である。意味である。五千年前に文字が案出されて、新たな材質が加わった。カリグラフィ、すなわち「イメージ」である。(中略)「g」という文字のこの軽くうねる流れと、付着するにがい音とのゆえない対比はどうだ。奇妙なことだ。言葉の内部には、音があり、そしてイメージがある。そして意味という謎めいたものすら、そこに折り畳まれている。

・・・中世ラテン語写本を目にすれば、いかなブロック体で書かれていようとも、仄かにく黝(くす)む文字の連続のなかに「ひと文字から次の文字へ」という辷(すべ)らかな運動性がまざまざ感じとれる。精密に、機械的に並べられた黒い真珠のような筆跡にひそやかに停留しおのれを捩らす「何か」の流れが、滾々(こんこん)と沸き立つ言の葉の水脈が。

・・・一糸まとわぬ書くことの、書き順の、順を追ったとめどない流れ。それは、一つのダンスではないのか。それ自体が一つのダンスなのでは。書くことは舞踏の挙措の流れを繰り出すことであり、読むことはその振り付けを身もろともになぞることなのだ。ブランショを引くまでもなく、書き読む者は共に踊る。そうだ、文章のひと連なりから、われわれは声を聞きとる。メロディを、リズムを、歌を。


もう震えるしかない文章でした。ちょうどそのときにポンテの作品展があったのですが、ブック用に考えていた作品を即変更。「踊り」をテーマにしたものに変えました。そうするしかないでしょう、と。単純。

なぜかそのあとすぐに彼の講演があることもわかって、もちろん聞きに。そのときはこちらも個人的に興味ありありな「翻訳」の話でした。
そして、そのときに買った『この日々を歌い交わす』、これにも真夜中と同じ文章がおさめられてます。

踊ること、書くこと、まだまだ自分のなかで深まっていない。
なんだか自分の今までやっていることとちがう気がして少し腰がひけるけど、深まっていけば、同じところにいくのかもしれない。

Dancing is just discovery, discovery, discovery. As is all art. — Martha Graham

そういうこと。

プロフィール

sayaka

Author:sayaka
星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる
(ウンベルト・サバ 須賀敦子訳)

ことば+アルファベット+妄想。

カリグラフィーをしています。

町の写字室管理人

@scriptorium303

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