未来は芽の姿で、わたしたちといっしょにいる

The future is not in front of us, for it is here already in the shape of a germ; already it is with us; and what is not with us will not be even in the future. We don't know the future because it is within us.
Karel Capek, ‘Gardener's Year’, translated by M.and R.Weatherall
未来はわたしたちの前にあるのではなく、もうここにあるのだ。未来は芽の姿で、わたしたちといっしょにいる。いま、わたしたちといっしょにいないものは、将来もいない。芽がわたしたちに見えないのは、土の下にあるからだ。未来がわたしたちに見えないのは、いっしょにいるからだ。
『園芸家12カ月』(カレル・チャペック)より
今年も1年、ありがとうございました。
4月の地震、9月のみずのそらでの展示、12月の写字室作品展...。忘れられない1年となりました。
先月見た映画「この世界の片隅に」。
空襲のシーンが音も含めてリアルで、次から次へと続くのを見ながら、地震後しばらく続いた「またいつ大きいのがくるか」と吐き気のするような緊張感がふとよみがえりました。
空襲の日時が次々とスクリーンに映し出されていくのは、ひっきりなしに流れた地震情報とも重なって。
映画で心に残っている場面のひとつ。
戦争が終わり、食料不足に苦しむなか、進駐軍の残飯のようなスープを主人公のすずたちが道端で食べます。
紙切れまでもはいっているようなヒドイものではありますが、一口飲んだあと一瞬の沈黙を経て...「うまーいっ!」とふたり。
生きている、それだけでさまざまな矛盾を抱えているし、自分が意図していようといまいと失ったり、奪ったり、傷つけたり。でも与えたり、補われたり、美しかったり。ぐちゃぐちゃだけど「うまいっ」と心から言えるときがあり、そしてそれをわかちあえるひともいる。
そんなことを思いました。
地震のときも、映画をみながらも、シリアのことがあたまにうかびましたが、なぜなにもできないのか、と思うようなことが今年は世の中でいくつも。
いつ、自分がどんな立場になるかはわからない。
遠くをみるとどうしてよいのか途方にくれるけれど、「こうあってほしい」と思って、素通りせずに手の届くところからやっていけたらと思う。ひとつひとつがすべてに。
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終了しました。
教室作品展、無事終了いたしました。
ありがとうございました。

会場の天井が高くて、額だけだとさびしいので背景になるものを、と。
花の赤い色と青い色の中へ、
詩人のことばの中へと、
絶えず始まってけっして終わることのない
創造の営みが、内部へ向かう。
ことばと音の結びつくところ、
歌のひびくところ、芸術の花ひらくところでは、
必ず世界の意味、
全存在の意味が新たにかたちづくられる。
ことば ヘルマン・ヘッセ (『ヘッセ詩集』 高橋健二訳) より
ありがとうございました。

会場の天井が高くて、額だけだとさびしいので背景になるものを、と。
花の赤い色と青い色の中へ、
詩人のことばの中へと、
絶えず始まってけっして終わることのない
創造の営みが、内部へ向かう。
ことばと音の結びつくところ、
歌のひびくところ、芸術の花ひらくところでは、
必ず世界の意味、
全存在の意味が新たにかたちづくられる。
ことば ヘルマン・ヘッセ (『ヘッセ詩集』 高橋健二訳) より
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町の写字室 カリグラフィー作品展 2016のお知らせ

12月4日から11日まで、熊本のカリグラフィー教室、町の写字室の作品展が開かれます。
日時:2016年12月4日(日)~12月11日(日)
時間:11:30~17:00(最終日は15:00まで)
会場:アートギャラリーでんでん舎
でんでん舎の入っているビルは、大正時代に建てられたもの。
地震の影響を心配しましたが、関東大震災の翌年に建てられたため、丈夫なつくりにしていて、多少の被害はあったものの、建物自体は大丈夫だったとのこと。
素敵なところです。
詳しくは
http://scriptorium303.blog.fc2.com/blog-entry-75.html
http://dendensha.jp/
をご覧ください。
お待ちしています。
なみ

先日の展示でおいていたカードはどちらも波を。

詩が印字されたページを見ていると、行端のラインが波打ち際のようだなあ、と思っていたので。
詩はイェイツのThe Lake Isle of Innisfree全文を繰り返し。
・・・さあ、立っていこう、なぜならいつも、夜も昼も、
道に立っても、灰いろの舗道に佇むときも、
心の奥底に聞えてくるのだ、
ひたひたと岸によせる湖のあの波音が
「湖の島イニスフリー」(『対訳 イェイツ詩集』高松友一編) (部分)


(天草 茂串海岸 2015)

もうひとつは水面の光を。

(福江島から上五島へのフェリーから 2016)
海が好きなだけです・・・。

こちらは烏口をダブルペンシルにして原稿を。ふたつの線がすべてきれいに書けてしまうと、波のような光のような動きとちがってしまうので、絵具がところどころ途絶えるのがちょうどよく。
どちらも九州活版印刷所さんで、凸版印刷してもらいました。
ありがとうございました。
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